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青森家庭裁判所野辺地出張所 昭和33年(家イ)16号 審判 1958年12月02日

申立人 松川竹三郎(仮名)

相手方 松川敏(仮名)

主文

申立人と相手方を離婚する。

当事者間の長男武、二女梅子及び二男正の親権者を申立人と定め、長女百合子の親権者を相手方と定める。

理由

申立人は昭和十五年七月○○日山田貞吉の媒酌により相手方と婚礼の式を挙げて夫婦となり、同年九月○日婚姻屈出を済したものである。そうして当事者間に昭和十六年九月○日長男武、昭和十八年一月○日長女百合子、昭和二十年九月○○日二女梅子、昭和二十二年九月○○日二男正が生れた。その後夫婦間の折合が悪くなり遂に相手方は申立人と一諸に暮すことができないと言うて、昭和三十二年十月○○日頃突如申立人の許から出て行き帰らず、家を新築別居して狂信的な生活を始め、申立人より家に戻つて同居するようにと再三要求するけれども、更にこれに応ずる気配さえ示さないのである。そこで申立人は相手方が申立人と今後夫婦生活をして行く意思の全くないものと思われるので、当事者双方の将来のためにも、又子供たちのためにも、この際離婚するのが適当だと考え、申立人と相手方を離婚させて貰いたくこの申立をした次第である。なお離婚した場合における子供の親権者を、長男武、二女梅子及び二男正のために申立人と定め、又相手方と暮して居る長女百合子の親権者を相手方と定めて欲しいというのである。そこで当裁判所は、昭和三十三年四月十五日第一回の調停委員会を開いて当事者双方に対し種々調停を試みたけれども当事者双方とも従前通り同居して夫婦生活を復活する意思のないことを繰り返すのみであつたが、なお子供の将来につき更に熟考するため続行を求めたので、次回期日を同年五月九日午前十時と指定告知しておいたところ、相手方は右期日に出頭しなかつたのみならず、その後指定した同月十五日、同年八月三十日及び同年十一月二十六日の各期日にも出頭しないので、調停委員会においては本件調停を円満に成立させることができないものとして処理するのを相当と考えた。そうして調停委員会における当事者双方の陳述に家庭裁判所調査官村田静の調査したところを総合すれば、申立人の申立てた前記実情が大体認められるところであるし、又当事者夫婦間の折合の悪くなつた主なる原因としては、昭和三十二年六月頃、申立人が北海道方面に出稼ぎして帰宅後、兎角我がままな振舞をすることが多いと相手方が不平を言い出したことから夫婦間の感情のもつれが始まり、次いで相手方が身体の虚弱さから附近の○○○湖の女神を祈り礼拝信仰するようになつたところ、これが又お客相手とする申立人の営業に悪いとの理由で強く反対されたため、夫婦間の感情の対立が益々激しくなり遂に相手方は自分に同情する長女百合子を連れて申立人の許を立ち去り、叔父山田明の援助により相手方の肩書住所地に家を新築して移り住み、信仰生活を続け、今後申立人の許へ戻つて夫婦の同居生活を営む意思さらになく、それ故申立人が欲するなら適当な女と同棲生活をしようとも意に介するものではないとさえ放言し、只目下在学中の子供たちが卒業して就職するのに都合の悪いこともあるから、今直ちに申立人の離婚要求(戸籍上の屈出の意味)に応じられないというのであり、他方申立人は長男武、二女梅子及び二男正の三人の子供を育てながら肩書住所地で日用雑貨類の小売業を営み居る関係上、三人の子供が学校に行けば申立人独りであり、用あつて外出すれば留守になるのでこのままの状態を続けることは一家の破滅を来す虞れさえあるので耐え難く、この際相手方が離婚を承諾するか、さもなければ、お客相手の商売と両立せず却つてその妨げるような信仰稼業を中止して帰宅することを要望するというのである。以上認定したところから考えるならば、申立人と相手方とは今後夫婦生活を続ける意思全然ないものであるからこれを離婚させ、当事者間の未成年の長男武、二女梅子及び二男正に対し親権を行う者を右三人の子を現に養育して居る申立人と定め、又相手方において現実に養育して居る長女百合子の親権者をその母である相手方と定めるのが最も妥当な方法であると認め、調停委員角鹿哲次及び同沢田なか両名の意見も聴き、家事審判法第二十四条第一項に従つて主文のように審判する。

なお当事者間には離婚に因る財産分与や慰藉料の問題があつてこれらをも本件とともに解決し与えるのが真に望しいことではあるけれども、当事者双方は右問題につき別段希望も述べず且つそれにつき意見さえ開陳して居ないところであるから、この問題については他日更に申立を待つて処理するのを相当と考え、今これに触れない次第である。

(家事裁判官 坪谷雄平)

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